2011年1月30日日曜日

日本政治が停滞するワケとは

企業業績は回復し、日経平均は年初より徐々に上昇している。
鉱工業生産などの重要経済指標も徐々に回復、直近のGDPは前期比年率4.5%と好調な水準である。

しかし、ここ数年どんな時もある不安材料が残る。

日本の政治だ。

普天間問題、小沢問題、TPPの関する協議など問題は様々。政治を行う上で問題はあって当然だが、あまりにもそのスピード感が遅すぎる。

だが、これは全て政治家のせいなのだろうか。もちろんその責任はあるだろうが、私は必ずしもそれだけではないと思う。国の政治制度が根本的な問題なのだ。

今の日本政治の根本的な問題点は「リーダーシップの欠如」である。2009年には衆議院選挙、2010年参議院選挙、2011年には統一地方選挙。。。こんなに選挙があれば政府がリーダーシップを発揮できないのは当然であり、毎年選挙対策のための人気政策が実行され、税金の無駄を生むのである。選挙に参加する者に高齢者が多いことも、世代間が偏り、高齢者向けの政策が支持される。この無駄が多い政治制度が日本の政治を弱体化させているのである。

経済力を付けてきた中国。共産党一党独裁が良いとは思わないが、中国には強力なリーダーシップを発揮する政治力があり、見事それを上手く使って政治を運営している。米国も、4年に1度の大統領選挙によって、強力なリーダーシップを持つ大統領が任命される。日本のようにすぐに辞めさせられたりはしない。強力なリーダーシップを持つトップがいる国の政治は一貫性を保ちやすく、政治運営を行い易くなるのだ。

日本の政治にはない力である。日本の政治体制では、よほど強力なリーダーシップがなければ上手く政治を運んでいくことは難しいだろう。


しかし、それを解決するにはどうするか。首相の権限をより強固なものとし、強力なリーダーシップのもとで日本を引っ張っていく政治システムをつくるにはどのようにすれば良いか。

解決策は
1.首相公選制にする
2.参議院を撤廃し、1院制にする

ずばりこの2つであろう。
1。首相公選制
米国の大統領のように、首相を国民が直接選ぶ方式である。こうすれば今のように首相が頻繁にやめざるを得ない状況は続かない。国民に直接任命責任が及ぶからである。米国のように4年に一度とし、行政の長としての権限を強く持ち、任期中は滅多なことでやめさせることができないようにする。

2。参議院を撤廃し、1院制にする
セーフティーネットとしての参議院だが、ねじれ国会の中では議会を混乱させる火種になるだけである。また、ねじれではない時は衆議院の法案をそのまま参議院で通すだけの意味のない機関となってしまう。今の政治にはスピード感が必要である。2院制ではスピード感を得られない。
また、何度もあった選挙回数を減らすことができ、短期的な世論の動向に左右されにくくなる。また、議院の削減による人件費削減も大きな焦点となろう。

以上2点が日本の政治を救うと私は思う。
政治家が足をひっぱる日本。復活の日は来るのだろうか。
忘れてはいけないのが、その政治家を選んだのは私たち自身であることだ。

李忠成の栄光

昨晩アジアカップ決勝。冬の夜となっても20度という中東ならではの気候の中、緊迫した時間が過ぎていく。

フィールドで戦う選手達を見れば、その身長差は明らかだった。巨兵豪州の大きな壁が日本の選手たちに立ち、苦戦を強いる。

オーストラリアにはここ最近、PKでしか勝ったことがなかった。

展開は延長線に入り、またもPK戦に縺れ込むのか。

そんな中、一人の選手がベンチからフィールドに入ってきた。サンフレッチェ広島の李忠成選手だ。

彼は在日韓国人だったが、「在日韓国人の可能性を示したい。」と日本代表入りを希望して2006年に帰化。親戚からの猛反対の中、母親から「親戚中から縁を切られても私たちはいいから自分の思うようにしなさい」と言われて決意した。北京オリンピックに日本代表として出場。アジア予選で2得点を挙げた。

今回のヨルダン戦が国際Aマッチ初出場だ。
そして決勝の延長戦、ついにチャンスが訪れた。

「ヒーローになる、ヒーローになる。」

ずっとそう言い聞かせてピッチにかけ込んだ。

延長後半4分。長友の左クロスを、美しい左足ボレーでコールネットを揺らした。
ヒーローになった瞬間だった。

日本は優勝し、アジア大会4度目、史上最多の優勝となった。

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この活躍を、中央日報はこのように報じている。

李忠成がやり遂げた。

在日同胞で日本サッカー代表チームの李忠成は30日(韓国時間)にカタール・ドーハで開かれたアジアカップ決勝戦対豪州戦で、延長戦後半に値千金の決勝ゴールを決め日本を優勝に導いた。

延長前半に投入され最前方に就いた李忠成は、延長後半4分、長友の左クロスを左ダイレクトシュートにつないで決勝ゴールを決めた。決勝戦前まで1失点にすぎなかった豪州のGKシュウォーツァーも身動きできずにやられてしまった。李忠成は自身を選んだザッケローニ監督に走り寄り厚い抱擁を交わした。国際Aマッチ2試合目で入れたデビューゴールだ。

読んでみてわかると思うが、この記事に賛否両論の声があり、ハングル語版は非常に大賑わいしているそうだ。

私も海外で生活した経験があるので多少理解できる。その国の在住外国人は、祖国とのナショナリズムとの間に苦しむこととなるのだ。

「祖国は大切。しかし長く暮らすこの国も好きだ。」

そんな在住外国人は多いはずである。おそらく李忠成もその一人だろう。しかし、そのような人々に各国の人々は

「おまえは○○人だろ!」「おまえは○○で生まれ育ったのではないのか。」

と言って何方か一方に所属するよう強制する。外国人に対して排他的な感情を持つ人が多いこの国ではそのような人々が少なからずいるのは事実である。


祖国を大切にすることは良い事だ。しかし、それが排他的感情を助長するようなことになってはならない。


2011年1月16日日曜日

坂本龍馬と岩崎弥太郎

坂本龍馬

「世の中の人は何とも言えば言え。我が成すことは我れのみぞ知る。」

友人や会社の先輩の勧めで司馬遼太郎の「龍馬がいく」を読んだ。

時代の節目には、変化が求められる。変わらなくてはいけない時がある。だが

、その変化を拒む者はいつの時代にもいる。

「Yes, We Can!」と言い、米国で黒人初の大統領に就任してもう少しで4年。

自由の国米国に変化を起こし、また新たな自由を生み出した。しかしそれだけ

の偉業を達しながら、彼はその後米国に変化をもたらしたのか。

「変化」に対し、世の中の人々は常に冷たい目を向ける。その難局を乗り越え

てこそ、国は新たな成長を達成するのである。


坂本龍馬は幕末の中、700年続いた武士社会を終わらせ、新しい世の中へ変化

させたのだ。

しかもヒトラーのような独裁者ではない。どんな人にも良心的で、明るくふる

まいながら日本を導いていった。

もちろん龍馬をよく思わない人々もいた。「変化」を恐れた人々や嫉妬をした

人々だった。

しかし、そのような中でも龍馬は強い意思を持っていた。誰にも折ることがで

きない強い意思を。日本を思う強い意思を。


今日本は「平成の開国」と話題となっている。その中でよくこの幕末の話が引

き合いに出されるがそれも当然である。

もしも今の世の中に龍馬がいたら何をするのだろうか。この衰退する日本をど

う変化させるのか。世界に取り残されるこの日本をどう導いていくのだろうか


しかしそんな夢物語に想像を膨らませては、机上の空論を繰り返すくだらない

学者と同じである。私自身がそんな人間になるのだ。

「世に生を得ることは事を成すことにあり。」

口だけにならぬよう、努めていきたい。



岩崎弥太郎

天下の三菱財閥を築いた岩崎弥太郎。龍馬はもちろんだが、私はこの男の方が

共感する部分が多い。

小さいころから、土佐藩の下士として虐げられてきた。家も龍馬と比べると貧

乏で、武士であるが百姓をしながら生活し、惨めな思いをする日々を過ごして

いた。

その悔しさ故、少しの事では挫けぬ強い心を持つ。自分を虐げてきた者たちを

絶対に見返してやるのだという強い心を持つ。

23年間という短い人生だが、私は悔しさで一杯だ。このような自分が情けな

く、そして憎くてしょうがない。世界で一番憎いのはこの自分である。

だからこそ、成功したい。今まで自分を見下してきた者共を見返してやりたい

。要領が悪く、何もかも中途半端な自分を変えたい。

ここに記したのは、私自身を戒めるためである。口だけの男にならぬよう、逃

げ道を作らぬよう、私はここに記す。

誰もが認める人間になり、必ずしや成功してみせる。

岩崎弥太郎や坂本龍馬がそうであったように。

口だけにならぬよう、努めていきたい。