東葉高速線に乗り、もう少しで飯山満駅に到着するところ。
「列車が急停止します。ご注意下さい。」
と車内アナウンスが響き、突然急停車。そして急停車してからすぐに大きな揺れが襲った。
電車の復旧めどがたたないことを理由に電車を降り、線路をつたって駅へ行く。
そこからバスでとりあえず船橋へ向かい、電車が復旧するのを待つが、目処が立たない。バスで帰ろうとするが、渋滞がひどいようで、バスはなかなか来ない。昼間動いていたのでコートを着ていない自分。とても寒かった。そんな時、バス停ですぐ私の後ろに並んでいた女性が、
「スーツだけじゃ寒そうですね。よかったらこれをどうぞ。」
と言ってホッカイロをくれた。非常に助かったし、とても嬉しかった。
30分程してもバスが来ないので、歩いて江戸川区の自宅に行くことにした。皆考えることは同じなようで
歩いて2時間半、行徳にある小学校の明かりがついていた。中を覗くと、緊急避難所として体育館が開放されていたのだ。
「どうぞ。毛布をもってストーブの近くで温まって下さい。」
小学校の教員とみられる人々が暖かく迎えてくれる。本当に歓迎してくれているのだ。
私はストーブの前へ行き、体育用のマットの上で寝た。マットも予め用意されていた。
少々寒かったが贅沢は言っていられない。
翌日。東西線がようやく復旧し、帰路に立つことができた。
私は愛知県出身であるが、東京に来た時に、
「この街は人と人とのコミュニケーションが薄い。」
と感じていた。都会特有の雰囲気である。しかしそれは偏見だった。
皆が困っている時はお互いに助け合い、励まし合うのだ。
地震自体は厄災であるが、人々の心温かさを感じることができる良い機会であった。
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