2012年5月6日日曜日
映画 宇宙兄弟
今日、映画宇宙兄弟見にいきました。
今の自分を見つめ直す上でとても意味のある映画でした。夢を持ち続けることは、どんな時でも大事ですね。
この物語は、宇宙を目指すある兄弟の話です。兄と弟は小さい頃、UFOを見たことがきっかけで、宇宙飛行士になることを二人で約束します。
しかし、宇宙飛行士になれたのは弟。兄は自動車の設計に携わる仕事をしていました。だが、兄は上司とのトラブルで会社を解雇されます。
そこで、弟が昔の宇宙飛行士になるという約束を忘れておらず、勝手に兄を宇宙飛行士試験に応募。書類選考をパスし、宇宙飛行士試験へと挑んでいきます。
漫画宇宙兄弟の登場人物で、大手研究所から火星を目指すため、主人公と共に宇宙飛行士試験に挑む真壁は以下のような台詞を吐きました。
誰に対しても誇りにできる仕事をしているか。
誇りにできる仕事。
昔からの夢。将来への希望。現在の自分。
今自分が携わっている仕事に対しても、同じようなことが言えるようになりたいですね。
2011年11月26日土曜日
オタク文化をかっこ良く ~もしもAppleがOSシェアを独占していたら?~
コンピュータに詳しいとなんだかオタクみたいに思われることがある。
それも当然だろう。ごちゃごちゃしたコードやチップを組み合わせたり、不可解な文字を打ち込んでプログラミングをしたりするなんだかよくわからない。しかも詳しい人にはオタクのような人も多く、そのオタク好みのような製品が多いからである。
しかし、「パーソナル・コンピュータ」を世界で一番初めに普及させた者の考えは違う。彼は「どの家庭にもあるような家電のように、誰にでも使いやすく、誰にでも親しみやすいデザイン」を追求した。その人物はスティーブ・ジョブスだ。
1970年代前半、天才プログラマー、スティーブ・ウォズニアックはテレビ画面に文字を直接入力し、表示させる今のパーソナル・コンピュータの祖となるものを開発した。それは後に「AppleⅠ」と名付けられる。ウォズニアックは当初当時通っていた技術者が集まるクラブで無償配布し、プログラミング・マニアの間で広がっていけば良いと考えていただけだった。
しかし彼の親友であるスティーブ・ジョブスはそれを止め、AppleⅠを元に会社を起業してビジネスにしようと提案。「Apple Computer」を設立。そしてそれは大成功を収める。
続いて、AppleⅡ、Lisa、Macintoshなどを開発。ウォズニアックは技術者として天才で次々と開発していったが、依然「マニアや専門家が喜ぶようなもの」として考えていた。しかしスティーブ・ジョブスは前述の通り、「どの家庭にもあるような家電のように、誰にでも使いやすく、誰にでも親しみやすいデザイン」というコンセプトを譲らなかった。それは何たるものかをとことん探求し、百貨店メイシーズを歩きまわって家電のデザインを参考にコンピュータを形作っていた。
結果、コンピュータの普及は一般の家庭にも広く及んだ。
だが、スティーブ・ジョブスのAppleは常に順風満帆ではない。Macintoshで進めていた「GIF(グラフィカル・インター・フェイス)」の技術・アイディアを、当時提携していたビル・ゲイツ率いるマイクロソフトに持ち出され、Macintoshより先にWindowsを発表。Windowsは徐々に勢力を広げ、PCのほとんどはWindowsが占め、現在に至るようになった。
ところで、ビル・ゲイツはジョブスのように「誰にでも親しみやすい」を追求したのだろうか。
ジョブスは言う。「マイクロソフトが抱えている問題はただ一つ、美的感覚がないことだ。足りないんじゃない。ないんだ。」
私も同感である。Appleが生み出すコンピュータはどれもかっこよく、細部までこだわりが感じられる。最近のAir Macなどは「どこにおいてあっても違和感のないデザイン」に仕上がっている。それに比べ、ウィンドウズは最近になって少しデザインに力を入れているように感じるものの、「誰にでも親しみやすい」とは言えないものが多い。
長くパーソナルコンピュータの世界ではWindowsがその地位を独占している。しかしそのような世界には、ジョブスが言うように「美的感覚がない。」。結果、PCといえば「オタクが大好きなもの」というイメージが世間に定着してしまった。
もしもWindowsに先をこされることなく、AppleがPC市場を独占していたら。今のオタクはもう少しかっこよく思われていたかもしれない。
2011年9月10日土曜日
映画『ブラックスワン』
これが一流の映画なのか。
ありきたりのアメリカ映画ではない。
見れば見るほど、どんどん映画に引きこまれていく。
スリルがあり、官能的であり、ストーリー構成も素晴らしい。
ナタリー・ポートマンの熱演。
感情の激しくこもった演技は、観客を圧倒する。
この映画を見た後、今まで見てきたほかの映画は単なる安物にしか見えない。
必見である。
<鉢呂経産相>辞任 繰り返す閣僚の辞任
「死の町」
「放射能を付けたぞ」
福島県を訪れ、こんな言葉を残した鉢呂経済産業大臣が辞任した。
閣僚の失言。
日本の閣僚は失言によってよく辞任する。
原因は
①政治家のモラルが低い。
②党内融和を先行する素人内閣が多い。
③メディアが大きく取り上げ、国民もそれに過剰に反応する。
②については前投稿に詳細を述べた。私が今回危惧するのは③である。
一度失敗した時、新たな信頼を取り戻すのは非常に難しい。
いくらその人がすごくても、一度失敗をしてしまうと信頼を取り戻すのは非常に難しい。
平凡で何も問題を起こしていない人の方が相対的に信頼を得ることになる。
だから少しでも失敗すると、大きな命取りである。
日本ではそれが顕著。
だが、過剰に反応しるぎるのもどうかと思う。
確かにモラルを欠いている。
間違いなく被災者の気持ちを逆なでしている。
しかし、視点を変えると大臣が頻繁に交代して国政が麻痺することも大きな痛手である。
国益を大きく害している。
その最も足るのが内閣総理大臣の頻繁な交代だ。
日本国民はもっと全体的な視点で物事を判断する必要がある。
失敗は誰にでもある。もう少し寛容な心が必要なのではないか。
素人内閣の弊害
野田政権は挙党態勢を築くため、そして自らの政策を円滑に進めるために閣僚人事を練った。
まるで自民党政権の派閥政治が復活したかのごとく、各グループに配慮して閣僚を配置し、
まるで財務省の意向である財政健全化を進めるかのごとく、財務省関係者が重職に就いた。
ただ、ここには大きな弊害が生まれた。
閣僚は専門家ではなく、「素人」が多いのである。
玄葉外務相
国家戦略相などを歴任したが、外交分野はほぼ経験がない。
ここに海外人脈が豊富な前原氏を置くべきである。
安住財務大臣
NHK出身。国対委員長などを歴任し、党内調整に奔走した。
財務関係には全く経験がない。日々財務官僚に囲まれて勉強している。
鉢呂経済産業大臣
農協出身。失言多し。地元北海道の農政には強いようだが。
一川防衛相
「安全保障に関しては素人だが、これが本当のシビリアンコントロールだ」
認証式前の発言。
海外にどう伝わると考えてこう言っているのか。国民がどのような気持ちでこの言葉を聞くと思っているのか。正直怖い。こういう穴を海外は逃すことなくついてくる。
「閣僚解任に値する。任命した野田佳彦首相の見識も問われる」
自民石破政調会長の言葉の通りである。
藤村官房長官
野田氏と仲が良い。経験少なく、未知数。
元日本ブラジル青少年交流協会事務局長
あしなが育英会顧問。
山岡国家公安委員長
元国会対策委員長。小沢の側近。小沢に配慮した人事。
拉致被害者家族会の緊急集会では、出席者から激しい野次を受けた。拉致問題に一切関わった事がない事に加え、拉致被害者の家族から被害者が拉致された年月日を教えられた際、「私が初当選した年だ」と嬉しそうに語った事も反感を強めたとされている。
自見金融大臣
医者。ハーバードで研究員を務めるなど、医師としての経歴はすごい。
ただ、金融行政に関する経験はほとんどなし。連立を組む亀井氏の後任、国民新党の重要政策郵政改革を推進するためのポジション確保のためだけ。
経験が浅い方々が多い野田政権。
一番怖いのは、このような隙を逃すことなく突いてくる海外各国である。
閣僚人事の殆どが国内向け。当然である。選挙は国内に向けて行われるのだから。
だから日本の政治は3流と言われるのである。
2011年9月7日水曜日
野田政権 ~間接民主主義により生まれる日本の首相~
「アサガオが美しいのは、夜の暗闇と冷たさがあるからなのだ。」
民主党代表選の野田首相演説。私はこの言葉を聞いて素直に感動した。
野田首相は当選5回。しかし1度落選を経験し、浪人を経験。昨年財務大臣に就任するまで、千葉県船橋市内の各駅で演説を続けた。
「政治活動の原点。一日演説すれば0.5ミリ前進。怠ればどんどん後退。前日の夜が遅くとも、体調が悪くてもとにかく立つ」
政治家は選挙の時しかみないが、野田は違う。地道に、市民に訴え続けたのである。私はそんな野田の直向きに努力を続ける姿勢がとても好きだ。
野田は今まで理想主義だった鳩山・菅とは違う現実主義者。増税を前面に掲げ、鳩山が掲げた「東アジア共同体」や、菅が掲げた「脱原発路線」などの理想的な路線から踏み出し、現実を見極めた上で政策を遂行していく。言葉は常に慎重だ。
現実主義を円滑に実行すべく閣僚人事にも気を配った。小沢を敵対視することなく、内へと取り込む。興石幹事長がそのシンボルだ。また、財務関係の素人である安住を財務大臣に据えたのは、首相自身と同じような考えを持つ財務官僚の意見を素直に吸収してくれるし、自身と財務省の橋渡しにもなりやすいからであろう。
野田首相のリーダーシップの元、民主党は本当に挙党態勢を目指して頑張っているように見える。ただ、よくよく考えてみると、野田政権はかなり内向きであることがわかる。
海外より国内。日本の政治によくみられる。
米軍基地問題や自衛隊活動などがその典型である。
今回挙党態勢を築くべく、党内のバランスを考慮した閣僚人事を行った。ただ、それはほとんど内向きの姿勢である。財務大臣である安住は先程述べたとおり素人。外務大臣に就任した玄葉だって外交に関しては素人であると聞く。そのような者に重要閣僚を任せていいのか。官僚のいいなりになり、ただ省益を求めるだけの操り人形にはならぬのか。
米国では閣僚に専門家が就くことが多い。任期も比較的長く、如何なくリーダーシップを発揮できる。専門家vs素人。大学の教授と学生が同じ土俵で戦うようなものである。不可能ではないが、かなりハンデがあることだろう。
だから日本の政治は3流と呼ばれる。だから日本の対外交渉力は弱い。
この原因は首相を選任する際に間接民主主義が取られていることに起因する。国会議員が首相を決めるから、内向きの馴れ合いがひこ起こったり、党内対立などが激化したりする。ある議員が押した議員がその対価としてポストを得られる。「挙党態勢」を築くためである。よって素人でも構わない。
米国では国民が直接大統領を選ぶ。そこには、日本ほど国会議員同士の馴れ合いは起きにくい。自分の政策の素晴らしさを説得する対象は、国会議員ではなく国民だからである。よって閣僚人事も、大統領がリーダーシップを発揮しやすく、日本よりその道のスペシャリストが就任する。
この力の差は対外交渉力に大きくでることだろう。
野田政権の船出は順調である。ただ、それは日本国内のこと。世界に対してはどう動くか。それが今後より問われてくることになろう。
世界に挑む素人集団野田内閣。演説がうまいだけでは、世界に誇る日本を築くことは難しい。
2011年4月19日火曜日
映画『マイレージ・マイライフ』
「結婚しても得することなんてない。」
空港と飛行機が我が家であり、添乗員が家族のような存在である主人公。しかしその反面、一人であることも寂しい。
主人公は働く人々に解雇を言い渡す仕事。解雇と雇用が日本よりも頻繁に起きる欧米の実情がよくわかる。ただ、そんな欧米社会においても解雇を言い渡されるのは辛い。もちろん、解雇を言い渡すのも辛い。
私は大学生の頃、長期にわたって海外を一人で放浪した。一人で旅することが楽しかった。何よりも自由だった。ただ、時々寂しさを感じた。旅をしている時に一緒に旅をした人もいた。恋しているのかと錯覚したこともあった。しかし、離れてみると、それは恋ではなく、ただ寂しさを紛らわすための気持ちだった。その時は一人で旅することを非常に楽しんでいたが、一生一人でいることはやはり無理なのだと気づいた。人は一人じゃ生きていけない存在なのだ。
その事を再認識した映画だ。
まだまだ書きたいことはたくさんあるが、ここまでにしておく。
とにかく、この映画はとても良い映画だった。
登録:
投稿 (Atom)