「おまえ、宗教を持たないで暮らしていけるのか。」
私が中東諸国を旅行しているときに言われた言葉だ。
地元の住民達と仲良くなり、
「どの宗教を信じているのか。」
と聞かれた時に、私が
「特に何も信じていない。」
と答えた時の彼らの反応である。
国・地域によって宗教とは生活の一部である。キリスト教徒は毎週日曜日教会へ行き、説教を聴く。そして地域に関わる様々な活動に参加したりする。また交友関係も同宗教内が中心になったりするのだ。
「宗教は恋愛と同じだ。」
私の好きな作家、石井光太の言葉である。
恋愛はお互いの心を癒し、それぞれ依存する。人々の心を救い、豊かにする。宗教も根本的には同じであるという。
無神論者が多いといわれる日本。そんな日本にも神社や寺があり、初詣にはたくさんの人々が集まり賽銭を投げてお祈りをしたりするのである。
宗教が全く存在しないところはこの地球上に存在するのであろうか。私はないと断言してもいい。
「私は弱い人間だ。」
キリスト教徒であり、元外交官である作家佐藤優がこのような言葉を良く本に記している。私も弱い人間である。弱いところがない人間はいるのだろうか。否。人間は一人で生きていけない。また、共通のアイデンティティを持たなければ生きたいけない。それを保管する役割として宗教は人間の住むどの地域にも根付いていることだろう。
ただ、いくら宗教が存在するといっても、宗教的意識が薄いのが確かなのが日本である。強い宗教心を持つ人間を偏見の目で見る傾向があったりもする。近年になるとそのような傾向はさらに強くなってきているのではないだろうか。なので逆に心が弱くなってしまう。精神的なことが原因で自殺・犯罪などが増えていってしまう。
心のよりどころ。どんな人々も心のよりどころを欲していることだろう。
宗教とは本質的に人々を救うものである。支えとなるものである。教えとなるものである。
それは人々にとって必要不可欠なのだ。
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