2008年12月28日日曜日

外来音楽


最近ジャズを聞くようになった。
父がよく聞いて影響されてしまった。



一日の疲れを癒すのによく、疲れて家に帰ったらジャズを流す。
集中して読書をしたり勉強するときにもバックミュージックとして最高だ。



しかし自分はまだ初心者。
ジャズといってもなんとなく聞いているだけで詳しいことは知らなかったので、集英社新書の中山康樹が書いた「超ジャズ入門」を読んでみた。

ジャズの見方や魅力などたくさん書いてあったが、きになる言葉があった。

「日本人はジャズを理解できない。」

ある有名なジャズミュージシャンがこのようにいいきった。
アフリカでできた音楽を理解できるはずがないということだ。
外国人が演歌を歌い違和感を感じることと同じである。
本にはそのように書いてあるのだ。

しかし、この考え方は非常に視野が狭い気がする。
日本人はアフリカ系の人とまったく同じようにジャズを演奏できるかはわからないが、たとえそうでも良いではないか。
大事なのは完全なる「真似」でなく、その「質」だ。
日本人のジャズミュージシャンやリスナーは、本家のジャズに憧れを抱き真似をするかもしれないが、それが完全に同じでなくてもいい。完全に本家と同じ考えでなくてもいい。
演奏の「質」が良ければいいじゃないか。
さらにそこから新たなオリジナリティーを示していけば様々なジャンルが生まれ、音楽に楽しみが増えて良いではないか。

これはジャズのみならず、パンクロックなどの世界でも言えること。
アメリカやイギリスのロックがかっこいいから、日本でも彼らに影響され演奏するアーティストはたくさんいる。
しかし、よく「あいつらまねしてるだけじゃん」と非難されるのを耳にする。
だが、それはそれで質が良ければ良いではないか。

ジェロが演歌を日本でリリースした時は衝撃的だった。
アフリカ系の人が演歌を歌うことに抵抗感を感じる人がいたかもしれない。
実際自分もそう感じた。
しかし、2008年6月現在までに25万枚の売り上げ、配信は50万以上。演歌としては異例のヒットをはじき出した。
これを聞いて嬉しく思った。
ジャズなどの外来音楽は先も言ったように、日本人が演奏したりすると単なる「真似」だと批判する人も多いが、演歌の世界においてそのような排他的な考えは薄いようだ。この寛容性は誇るべきものだろう。


どの音楽界も、どの文化もこのようになってほしいと思うばかりだ。



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